最後に私自身の生き方、こだわりについても。
1:自分は「結構不完全」な存在で
私は、経歴はエリートっぽく見えるのに、
どこか根無し草というかヒッピーのような雰囲気があるとよく言われます。
多分それは、ちょっとややこしい時代と家庭環境で育って、
人間関係や自分の心の中を、なんとかやりくりしながら生きてくる中で、
結果としてたどり着いたスタイルなんだろうなと思っています。
自分でも、あまり生き方は上手だと思わないし、
「自分の人生、これで大丈夫なんかなぁ」と思うこともよくあるし、
あまり褒められたもんじゃないことも時々しながらここまで生きてきました。
ただ、そういう自分だからこそ、依頼者の方と
心情的に繋がれるなと思うことはよくあるんですよね。
自分でも経験があるからこそ、他人の悩みや状況を聞いて、
「そうですよね。そんな状況、やってらんないですよね」
「ここにやってくるまでには、いろいろ考えたでしょうね」
「そんな風に感じることはもっともだと思いますよ」って言えるんですよね。
同じ時代、同じ社会の中で生きる、
矛盾や葛藤がたくさんある世界を生きるって、
そういうことだろうと思ってるんです。
2:思想的な原風景としてのフィンドホーン
もっと言うと、エシカルだとかサステイナブルだとか(SDGsみたいな)、
最近のお題目になってきた世界観の土台にあるのは、そんな感覚だと思います。
それは「連帯」の感覚、とでも言えばいいのかな。
私は、過去にそういう哲学を具体的に形にした、
生活共同体としてのコミュニティについて考えていた時期があって、
一時、国連と提携している環境実験都市としても有名な、
英国スコットランドにあるエコヴィレッジ(フィンドホーン)に
2010年ごろに、数ヶ月滞在していたことがあるんですよね。
そっちの界隈では「訪れると人生が変わる」とか言われている
世界的にも有名な「スピリチュアルの聖地」だったりします。
実際に住んでみると、そういう小さな共同体(ちょっとした集落)でも、
さまざまな社会問題(高齢化とか移民や土地の問題とか多様な事情を)を抱えていて、
彼らが掲げている精神性(ある種のスピリチュアリティ)も、具体的な生活の知恵や文化に根ざしたもので、
また現地スコットランドのケルトの伝統や神話、物語(妖精伝説とか)と結びついていたんですよね。
個人的には、そういうものを見てきて、
「そうか、地に足のついたスピリチュアリティって、
ごくごく日常の中で実践する身近なものなんだな」と思うようになったんです。
日常の個人的な困難に向き合うにあたって、一時の感情や損得に振り回されることなく、
もう少し大きな視野を持って「自分の生き方として、それでいいかな?」と考えること。
そういうことが大事なんだよな、と考えるようになったんですね。
3:日本に戻ってからの試練と出会い
日本に戻ってからは、しばらくは日本のエコビレッジ設立の活動に参加したり、
それに近い精神性や実践の手法を持つパーマカルチャーのコミュニティに加わったり、
そういったことを事業そのものとするソーシャルベンチャーの経営に携わったりもしてきました。
ただ、そういう特別な場や組織を整えて実践する方法もあるけど、
もっと「日常の中でのスピリチュアリティの実践を」ということを、
自分個人の生活としては、フィンドホーンでの滞在経験からしたいと思っていました。
そんな折、色々と関係していた組織で、人間関係的にややこしい事件が起こって、
それに巻き込まれてオーバーワークする形で心身のコンディションを崩すようなことがありました。
それで、しばらくそういった外部の活動に、参加できなくなる時期がやってきたんですね。
そのダメージからの回復にあたっては、大切なものを手放さなければいけない部分もあったため、
「同じようなことを繰り返さないためには」ということをじっくり考える時期を過ごしました。
自分自身の性格特性や過去の生育環境からくる行動パターンなんかも、
深く見つめていく必要のあるような、個人的には特別な時期を過ごしたんですよね。
そんな時期の自分の静かな活動を支えてくれたのが、
日本各地の「各種の依存症からの回復のためのコミュニティ」でした。
これは草の根活動として、とても多様なグループがある活動で、
有名なのはアルコール問題のAA、薬物問題のNA、ギャンブル問題のGAなんかですが、
摂食障害問題のOA、セックスや愛着問題のSA、過活動問題のWA、感情問題のEA、共依存問題のCo-DA、
ひきこもり問題のHA、盗癖問題のKA、浪費問題のDA、機能不全家族問題のACoAなどなど。。。
「自分自身の一見手に負えそうもない問題を見つめ、
それでも各自が生き方の中で、回復を見出していけるように関わり合う」という意味で、
とても精神的な(=スピリチュアルな)共同体なわけですが、
当時大きな問題に直面していた私は、彼らと自然と巡り会うようになったのです。
4:関わりの中で得た知恵と「連帯」の感覚
さらにいうと、対人支援職にとって、
こういった「依存」の問題って、逃れられないテーマなんですよね。
クライアントとの関係性の中でも、必ず生じてくる要素であり、
支援者自身が抱える心理的な問題が必ず立ち現れてくるものであって(逆転移)。
自分自身が一連の事件で、心身にダメージを受けることになったのも、
このあたりのことをそれまでうまく扱えなかったからこそのことでもあって、
この時期に、自分自身の心のうちにあるものを見つめることは、
自分自身の回復のためにも、今後の職業人としての生活の上でも大切なことでした。
(もちろん、自分自身の個人的なアイデンティの問題としても、です。)
そう言った関わり合いを通じて、
「人って助けられながら生きていく」ものなんだなって、
素朴に思えるようになったことは大きかったですね。
それまでの自分は、何事も「自力で乗り越えていく」って思っていたので、
事業上のパートナーやクライアントにも無理を強いるようなことが思い返せばときおりあって。
そうでなくて「人間一人で立ち続けなくてもいい」
「一人で抱えられないような物事にぶち当たるのが人生なんだ」と思えるようになったのは、
自分が「対人支援をする意味」を見出すことにもなって、結果とても良かったんだなぁと思っています。
元の話に戻りますが、だからこそ「連帯」なんですよね。
時に困難の訪れる人生を誰もが生きているからこそ、
「時に誰かを支え、支えられる」ってことは、生きていく上で欠かせない要素。
また、そんな視点から今の社会を見ていると、
「精神的孤立」が引き起こす問題の多さも感じるんですよね。
自分が過去に出会った、企業の中で苦しんでいた方々もそうですし、
事業者や経営者の悩みや複雑さもよくわかる(共感できる)ようになって。
そんなことに手をかせることがあるなら、
具体的にも、精神的にも手助けしていくことが、
(また時には、自分も誰かの手助けを借りながら歩んでいくことが)
自分にとっての「スピリチュアリティの実践」だなと思っているのです。